わたしは若かりしころ
海外に住む機会が
しばしばあり(アジアばっかだけど)
“日本人って海外の人にどう見られてるのかなぁ?”
そんなことに興味がありましたね
なんとなく・・・
日本女性って
海外の男性に人気ってイメージありません?
Oh〜!♡ ヤマトナデシコ!!
みたいな・・・(笑)
おしとやかで
物静かで
男性に従順〜
愛嬌があって
可愛らしい!ってイメージ
持たれてそうですよね
かたや
日本男児はどうでしょう
あまり話題に上らないというか…(汗)
関心を持たれにくい?
海外女性からの
国籍別男性人気ランキングみたいなものを
昔見たことがあった気がしますが
日本男性の人気は
低かった覚えがあります
外国の白人男性
碧眼、金髪
高身長でガタイも良い
それが「イケメン」の
アイコンだった時代も長かったですね
ハリウッド俳優的な(^ ^)
わたしたちアジア人は
白人の美形に対して
憧れ〜とか
自分たちより格上の存在ね〜とか
そういったイメージを
心の根底に抱いているようです
最近は
韓国メディアの爆進劇により
アジアの男子に
黄色い声が上がることも多くなりましたが
まだまだ
欧米の格上感は
否めないのではないでしょうか
JAPANという国に生まれ
日本人として
ツインレイという言葉に出会ったあなた
今、どんな感情を
日本男性に対して抱いていますか
わたしたちの暮らし
毎朝起きて
びっくりします
この日本という国の豊かさに
慣れないんですよね・・・
なんか
毎日勝手に
ひとりでびっくりしてます(笑)
この奇跡のような国に
たしかにネガティブなニュースは
今日もメディアを賑わせています
やれ国家予算は借金だらけだ
やれ少子化だ
やれ高齢者問題なんとかせぃ
テレビやネットニュースを見てたら
絶望的な気分になりがちの昨今です
しかし・・・
どうでしょう
個々の貧富の程度差はあれ
今日も空爆の危険に
怯えながら暮らすこともなく
つつましくもご飯はあるし
小学生は学校に行ける
日本国民ほぼほぼ全てが
学校に通える
教科書がもらえる
文盲はゼロに等しく
水道ひねれば
殺菌する必要もない
キレイな水が出てくる
鉄道は整備され
悪路も少なく
やはり世界を相対的に見たとき
どう考えても
日本は奇跡のように
豊かな国なのです
わたしはこのことに
まったく慣れません
毎日のように
この日本の優れた環境に
感謝の気持ちと
日本を造ってきた
先祖たちのチカラに
深い感慨を覚えるのです
長い歴史を
ふりかえれば
確かに
日本の間違った行い…
というものは
たくさんあるでしょう
でも、この世に
間違いのない人間もいなければ
間違いのない国家もありません
結果として
今の先進国日本があるなら
わたしは個人的に
どうしても
この日本を繋いできた
先祖の愛と信念に対して
崇敬の念を持たざるを得ません
自然と叡智を行ったり来たり、忙しい男と女
近年、男女同権意識の高まりとともに
女性の社会進出は目覚ましいものがあります
ジェンダー的観点からの
「男像」「女像」というのも
加速度的に変わりつつあります
なんだか
「男らしい」
「女らしい」
こんな言葉でさえ
禁句とするような世間の雰囲気です
しかし
歴史的に見て
やはり国家を動かす
重大な要所において
表舞台を担っていた多くは
男性たちです
その裏で
日本女性の嵐にも負けないような
しなやかな強さが
日本男性たちを支えていたのも
事実でしょう
「内助の功」というやつですね
共働きが主流で
女性も表舞台で働く現代社会では
「内助の功」は
もはや死語になりつつあるのかもしれませんが
わたしが子供の頃は
それでもまだまだ
専業主婦が主流だったのです
2000年代に入ってからも
日本の男女格差は
世界的に見ても大きいらしいですし
日本の女性の政界進出や
会社のリーダーになる率は
世界的に見て低いようです
世界の男女平等に関する
統計調査を流し見していても
「ヘェ〜日本は先進国の割には女性の地位が低いなぁ」って、思います
そのことに対して
男女差別反対!
社会で女性をもっと登用すべきだわ
そうよ!
女性は家政婦じゃないのよ!
こう言いたくなる気持ちもわかります
なぜって?
わたしもどっちかというと
「女性だからって
愛嬌とか可愛げとかで
判断しないでほしいわ!」
「お人形さんみたいに
外見だけじゃなくて
ひとりの人間として
中身で判断してほしい」
才能や
個性や
感性や
そういうところで
男性と繋がりたい・・・
こんな想いを
ふんだんに抱えている少女でしたから(笑)
恋愛モードで来られるのも
それはそれで
うれしいっちゃうれしいけど
わたしはどこか
いろいろな議題について
熱く討論を交わせるような
男の親友が欲しかったのです
とゆーのも
わたしの母親が
独立心旺盛な女性像を好む人で
実際
昭和の当時には珍しく
わたしの母は
キャリアウーマンとして
働いていました
しかし
それはあくまでも
母にとって
結局のところ「憧れ」だったような気がしますね
たとえ
職業人として独立していても
我が母の実質の精神は
やはり女として
どこか頼りなげなものを
人一倍持っていたと感じます
とはいえ
幼い子供だった
かつてのわたしの瞳には
現代的な仕事を謳歌する彼女の姿が
いつも映し出されていたように思います
そんな母の影響もあってか
やっぱりわたしも
女性が性的な目線でばかり語られたり
男性に比べて
ひとりの人間として
尊敬されにくい世間というものに
とても反発心があったのです
でもですね・・・
男女差別はんたーい!と
声高らかに叫ぶのは簡単ですが
男女を同じに扱うのは
実際のところ
どうだろう?と思うのです
男と女は違う生き物
見下したり
蔑視するのは良くないけど
「区別」することは必要です
脳構造も
体格も
生理現象も
趣味趣向も
男と女は
違う傾向を持っているのだから
ある程度「区別」して扱わなければ
人間の営みは
どんどん変な方向へいってしまいます
男と女は
どこか対岸に立っているような存在
女性は子供を産むし
お乳を出しますが
男性にそれはできないように
魚は空を飛べないし
鳥は海で暮らせないのです
現代の男女平等は
まるで
魚に「空を飛べ!」
鳥に「海で暮らせ!」
それでこそ平等だろう!と
息巻いてるかのような
不自然さを感じることが
しばしばあります
女性らしさ
男性らしさ
そういうものは
生物としての自然なあり方の
一部でもあり
女性性・男性性
母性・父性の「エリア別」として
語られたって構わないはずです
しかし
現代はそれすらも禁ずるような
おかしな方向へいっているような気がします
たとえば
女性の社会進出
これは本当に喜ばしいことです
女性も
やりたいことを仕事にして
自分の力で夢を叶えて
独立的に生きる
確かにそれは
歴史的にみて
女性たちがずっとやってみたいことだったはずです
女性の社会進出は
その光の側面もつ一方で
キャリアを優先するため
母体に危険な高齢出産化
子供が母親と一緒に過ごす時間を奪う
こういった影も
落としているわけです
女性が仕事に出れば
当然子供と過ごす時間を
削らなければなりません
赤ちゃんはママが大好き
本能レベルで
母性・・・母親を求めます
もし穴に落ちて
SOSを求めるとき
咄嗟に出てくる言葉は
「パパー!」ではなく
「ママー!ママー!!」のはず
子供の目線から見たら
母親がすべてなのです
母親こそが愛の全て
まったくもって
世界のすべて
そういった観点から見ると
専業主婦は悪くない制度だった
太古の昔
労働力不足や貧困で
女性も仕事場に駆り出され
幼子の面倒は他人に任せていた時代からみれば
専業主婦というあり方は
母子にとって一緒に過ごす時間が増えたという
光の側面だってたくさんあったはずなのです
しかし
人間はいつでも無いものねだり
どんな状況でも悩みを生み出す天才です
アメリカでは専業主婦の
「うつ病」が増えた…という
話も聞きました
女性が子育てをしている間
どうしても他の仕事はやりにくいから
男性が狩りに出て
女性や子供に食べ物を運んでくるというのは
生物の役割として悪くないのです
人間だって動物なのですから
英知と本能
科学と自然が対立するように
我々も
人間としての尊厳、あり方と
動物としての本能の狭間で
いつも行ったり来たりしているのかもしれません
日本男性への感謝
わたしは若かりし頃
「女としてじゃなく
ひとりの人間として、わたしを見てほしい」と望み
それがなかなか叶えられず
女性としてばかり望まれることに
がっかりしていた記憶もあるし
そんな男性たちに対して
憤りや怒りもたくさん持っていました
でも
ある程度
年とった今は
この日本を造ってくれた
日本男児たちに対して
「ありがとう」の気持ちをたくさん抱えています
男性の愛は大きいものです
若き乙女が欲しがるような
2人きりの愛の営み
そこだけが
男性の愛の体現ではないようです
自分の仕事で誰かを救いたい
世の中の役に立ちたい
社会貢献
それこそが
男性たちにとっての
「愛」の醍醐味なのではないでしょうか
ひいてはその男性の愛が
日本女性の生活向上に
恩恵の波を与えている
朝起きて
今日も平和な街角を眺め
納豆のフタを開けながら
窓辺から差し込む光と
ほかほかご飯の湯気を眺める
猫がニャーとないて
スズメがチュンチュン言って
今日も平安な日常
治安も良く
生きてくだけの衣食住と
子供達みんなに教育を与えてくれる
この現代の結果こそが
日本男性が日本女性を守っていることの
何よりの証ではないでしょうか
確かに日本男性は
外国男性に比べて
口下手で
朴訥としていて
ロマンティックな演出が苦手かもしれません
女性のエスコートも
かっこよくできない傾向が
あるかもしれません
しかし
わたしたち日本女性は
やはり世界的に見ても
恵まれた環境で暮らしている
最低限の生活ができるよう
環境を整えてくれているのが
男性たちの力によるものが大きいとするなら
わたしたち女性は
日本男性の大きな愛で
守られて生きているのです
男女差別と呼ばれるものも
女性を後ろに匿って
男性たちが前に出て戦ってくれている…と
とらえることもできるのです
古くは戦争も
現代において社会に出ることも
それすなわち“闘い”である、とするなら
女性たちを守るために
男性たちが戦士の役を引き受けてくれていたのかもしれません
女性や子供を守るために
男性たちが無言の中
「垣根」となって守ってくれていたなら?
歴史的に見て
場のリーダーや統率役を
男性たちがやってくれていたのだって
「責任」と「重圧」を
女性に負わせるのではなく
男性たちが矢面に立って
引き受けてくれていた、と
とらえることだってできるのです
リーダーというのは
批判も真っ向から受けますし
「責任」が伴いますからね
トップや頭領の体験というものは
キラキラ輝いた栄光だけではなく
もっと泥臭いものなはずです
「そんな役を
女性にさせるわけにはいかない」という
無骨ながらも大きい男性の愛に包まれて
わたしたち女性の歴史は紡がれていったのではないでしょうか
つまり
わたしたち女性も
「オトナにならなければならない」
そういう時期に来ているのだと思います
オトナになる、というのは
弱者の保護を考えるとともに
自分より強者の立場も鑑みることができる、ということに他なりません
人のうえに立つもの
批判を受けても
決断しなければならない
数々の試練を乗り越える
主君の孤独・・・
女こどもを守るために
みんなを守るために
リーダー役を担う機会が
多かった男性たちは
何かの幸せを守るために
どう動いてきたのか?
そういうことに
女性たちも想いを馳せてみる
細かく細かく
男性の立場を想像してみる
きっと
空想を通して
今まで見えてこなかった
無口な男性たちの心に
少しは触れることができるでしょう
「男女差別はだめ!」
「男らしさ、女らしさなんてクソ喰らえ!」
そういう思春期真っ只中の反抗期は
もう終わりにしなければいけない
確かに
歴史的に見て
男性が女性を虐げてきた・・・
そういう事実はあっただろう、と
わたしも思っています
でも
その一方で
社会貢献という形で
わたしたち女性の豊かな毎日を整備してくれた
男性たちの労働に対して
まずは感謝すること
顔も知らない
いつかの時代のどこかの男性の労働が
今日の女性たちの糧となっている事実に
感謝すること
それが
成熟した大人の女性として
これからは大事なのではないか・・・と
思うのです
地球も成長しているのです
まるでさも、人間のように
これからの地球は
「思春期」から「青年期」に入っていきます
男女のリレーションシップについても
安易な平等主義ではなく
もっとお互いの性のあり方を軸とした
洗練された「男女共存社会」になっていくと良いな…
そんな理想を
わたしは個人的に描いています
ツインレイは
男と女のパートナーシップについて
あなたに示唆を与えてくれる概念です
「女性に人権を!」と声を上げると同時に
男性たちの光の面に
感謝の気持ちを持つこと
謙遜と察しの文化のなか
日本男性たちはあまり声高らかに
語らないだけで
わたしたち女性の役に立つことを
たくさんしてくれているのです
そこにだって
目を十分に向けるべきであって(^ ^)
中年になった今
わたしは本当にそう思うのです
日本男性たちって
本当にすごい!
豊かな日本を体現してくれて
ありがとうございます・・・
ツインレイにおけるアダムの責任
ツインレイは
男女に関する究極のあり方を示しています
もともと
ツインレイのガイダンス自体が
キリスト意識の高次元存在によって
この地球に与えられたこともあって
ツインレイはしばしば
旧約聖書に出てくる
アダムとエバに例えられます
アダムとエバは
神によって造られた
初めての人間
神はまずはじめに
男であるアダムを造った
そして女性であるエバは
アダムの体の一部から造られました
つまり
旧約聖書によれば
女性は男性から生まれた・・・
ということになるんですね
そして
ツインレイも
確かにその様相を呈しています
つまり
男性が親なのです
男性が親で女性が娘です
このことは
性染色体からも
そうなんじゃないか・・・と
思えるフシがあるのですが
ツインレイもやっぱり
親子としての様相を持っているのです
親である男性アダムが
娘であるエバを慈しみ大事に守るのは
当たり前です
アダムを造った神さまも
きっと同じ気持ちで
アダムとエバを愛していたでしょう
親であるアダムは愛する側の人間
子供のエバは愛される側の人間です
エバは
神様からもアダムからも
眩しい太陽のような愛情を受け
エデンの園で
天真爛漫に暮らしていたことでしょう
そんなエバには
やっぱり親としての責任者である
神やアダムの気持ちはわかりずらかったと思います
アルバイトばかりやってたら
責任者である社長の苦労はわかりにくいし
「親の心、子知らず」で・・・
守られてる立場の人は
自分を囲って守ってくれている柵を
まるで自分を閉じ込める息苦しいものに
感じてしまって
「あ〜自由になりたい!」
「親ってウザい!好きにさせてよ!」
「私は私の道を歩くのよ!」
こんなふうに
反抗したくなってしまうものですよね
でも
父である神は
愛される側の者たちが
そんなふうに反抗期を迎えることも
すべてお見通しなのだと思います
神はわたしたち人間の親です
「本物の親」というものは
我々の想像以上に
ずっと上手(うわて)で
下々のことはなんでも把握していて
自分の造った子供たちが
どんなに反抗してきても
愛すること
そして
見守ることをやめないでしょう
親とはそういうものです
何があっても
守ろうとする
アダムとしてのツインレイ男性は
男性に対して不信感いっぱいのエバに
最後まで親としての責任を持って
愛し続けてくれる人
アダムは神に倣っている存在なのですから
男性の愛とは
「責任」のことなのです
いま、この時代
この局面に来て
エバであるツインレイ女性が
やらなければならないこと
それは
反抗期を終わりにして
大人になることなんですね
男性たちが
見えないところで積み重ねてきてくれた
努力の痕跡に光を当てて
「守ってくれてありがとう…。
文句ばっかり言ってごめんね。」
こう言えたなら
地球の光は
また一つ増幅していくのです
アダムはきっと
にっこりしてくれます
エバがそう言ってくれたら
アダムは嬉しいのです
大好きなエバがわかってくれて
気づいてくれて
ひとつ成長してくれて
ただただシンプルに
うれしい・・・
アダムとはそういう存在なのです
男性というものは
言葉にしなくても
女性への感謝を
いつも胸に秘めている存在だと思います
アダムとエバの仲直り
お互いの存在への感謝
地球上のツインレイたちが
そうしてにっこりするたびに
この地球はまた一つ進化する
ツインレイの光が
地球という方舟を
ひとつ上の段階に押し上げるのです
愛するエバのために
今日もあなたのツインレイ男性は
この広い空のした
一生懸命仕事に励んでいます(^ ^)
アダムとエバの仲直り
地球の次元上昇を起こすカギとなる合言葉
「ごめんね」
そして
「ありがとう」
晴れた日に
洗濯物でも干しながら
ぜひ、この合言葉をつぶやいてみてください
ひとつ成長したエバとして・・・
あなたの言葉は宇宙の風に乗って
お相手のもとに届くはずです
【 完 】