わたしの両親は建築家で、こどものころ住んでいた一軒家は、父のデザインによって建てられたものでした。
軽井沢のペンションにありそうな、吹き抜け構造のロッジみたいな木の家でした。
家族構成は、父・母・祖母(父方の)・私の4人家族。
母は、キャリアウーマンで先進的な人でしたが、同時にとても繊細でデリケートな一面を持っていました。
そんなわたしの母は霊感体質で、しょっちゅうオバケを見るようでした。
旅行に行ったとき、宿泊部屋のトイレを開ければ、壁面にびっしり「目」があったとか(こわっ)
歩いているときにお化けとすれ違うとか(笑)
かたや…娘のわたしは霊感ナシ。
直観力はやたらと高かったけど、オバケの姿は見えません。
オバケを日常茶飯事に見る母の話を、「ふ~ん。そうなんだぁ。」くらいで話半分に聞いていました。
ですが、あれは忘れもしない中学生のころ、わたしと母のふたりともに見えた不思議な存在があったんです。
話は少しタイムスリップして、わたしが小学生のとき。
祖母の個室には仏壇があり、夕飯時にご膳をお供えするのが我が家のお決まり事でした。
小さな器にご飯を盛ってお供えして、お線香をあげて、手を合わせる…
その一連の作業が「おままごと」のようで楽しかったので、わたしはいつもその役を買って出てました。
そんなある日のこと。
いつものようにご膳をそなえて、おりんをチーンと鳴らして、手を合わせていたところ、祖母がお経の書かれた小冊子を手に取り「般若心経」を唱え始めました。
我が家は無宗教で、信奉する宗教は特になかったんですが、法要などの神事の際、我が家にいらしたお坊さんがくださった「般若心経」の小冊子がお仏壇の横に置かれていました。
祖母もなにか意味があってお経をあげだしたというよりは、夕飯までの暇つぶし程度に読み上げ始めた…という風情でした。
わたしは子供心にお経の響きがおもしろく感じ、それからというもの、お膳をあげたあとに「魔訶般若…」から始まって「般若心経」で終わるお経を全文読み上げる、というのをやっていたおかげで、般若心経をすっかり覚えてしまい、暗唱できるまでになっていました。
中学生になったある日、一階のリビングでテレビを見ていると、二階の渡り廊下にサッと動く人影のようなものを察知しました。
冒頭で話しましたように、わたしの暮らしていた家は吹き抜け構造だったため、一階のリビングから二階の渡り廊下を眺められるデザインになっていたのです。
テレビから目線をはずし、渡り廊下のほうを見上げると、やっぱり人影のようなものを一瞬感知しました。
「なんだろう…?」
それからというもの、しばしばその存在を感じていました。
一階のリビングでくつろいでいるとき、サッ…と一瞬その人影を感知するのです。
数か月たったある日、わたしは母に話してみました。
「あのさぁ…二階の渡り廊下になんかいない?
身長160センチくらいで、いつも同じ場所からリビングを見下ろしている人。」
すると、母は言いました。
「あら、あんたにも見えるの?あの人、ずっと前からあそこにいるよね。」
母親曰く、あの存在は幽霊みたいな不気味さがない、ただの白い発光体だ、と。
たしかにわたしも、その存在に対して「コワイ」「不気味」とはまったく感じませんでした。
しかも、その存在は動かない。
渡り廊下のいつも同じ場所に立っているので、なんだか安心感がありました。
動いて近づいてきたらなんか怖いけど、そこに立ってるだけなら「ま、いっか」みたいな(笑)
こんな感じで、わたしも母もその存在を当たり前に受け入れて家での日常を過ごしていました。
そんなある日…ついに事件が!
決して動かないと思っていたその存在が、「動いた」んです。
その日、わたしは二階のいつもとは違う部屋で寝ていました。
いつもは自分の個室で寝ていたのですが、その日はべつの部屋で寝ていました。
おそらく親戚が泊まりに来ていたんだと思います。
このへんのいきさつはうろ覚えですが…
夜中、ふと目を覚まし、枕元にあったデジタル時計に目をやりました。
明け方4:00だったのを覚えています。
すると…部屋の入り口から、あの白い発光体がフツーに歩いて?浮いて?(笑)入ってきたんですよ。
わたしは心のなかで叫びました。
『わー‼あの人って動くんだ!絶対動かないものだと思ってたのに…なんか部屋に入ってきたんですけど!』
入ってきた白い発光体は寝ているわたしの足元に立ちました。
その瞬間、雷光と雷鳴に部屋中が包まれたのです。
カミナリのギザギザマークってあるじゃないですか、よく漫画とかで描かれている…
あんな感じの白い稲光が部屋中ピカピカ光って、雷鳴のようなものすごい轟音が鳴り響きました。
あまりの轟音にびっくりして、わたしは目をつぶり、両手で耳をふさぎました。
しばらく雷光と爆音量の雷鳴が鳴り響いていて、わたしは半分パニック状態。
『なにこれ⁉何が起きてるの?どうしよう、どうしよう…。どうにかしなきゃ!』
そこで思いついたのが、小学生のころ暗記した「般若心経」です。
その存在がなんなのか全くわからなかったので、中学生らしい安直な発想でした。
『そうだ!お経を唱えれば消えてくれるかも。』
わたしは心のなかで、繰り返し何度か般若心経を唱えました。
必死でした。
しばらくして、部屋がシーンとしていることに気づいたので、わたしはおそるおそる目を開けてみました。
枕元のデジタル時計が見えて、4:20分過ぎだったのを覚えています。
部屋はいつもの暗い空間に戻っていて、雷鳴も止んでいました。
『いなくなったかな…?』
そーっと足元を見遣ると…
『まだいるーっ( ノД`)』
まだ、いました(笑)
フツーに静かに立っていました。
『わーん。お経唱えてみたけど、効かないんだ…。もうほかの手が思いつかない。このまま目をつぶっていよう…。』
そのまま、目をかたくつぶっているうちに寝てしまい、次に目が覚めたときにはすっかり朝でした。
窓から明るい陽の光が差し込んでいて、いつもと同じ、一日のはじまりの風景でした。
こんな不思議な現象が起きたのは、あとにも先にも、この一度きりです。
今はもう、実家にこの存在はいません。
いつのまにか、わたしも母もこの発光体の存在を知覚しなくなりました。
「いつのまにか、どっかいっちゃったね。」と、母と話した記憶があります。
あの不思議な存在。
いま思い返してみても、宇宙人だったのか、それともお化けだったのか?
ナゾは深まるばかりです。
でも、仮にもし宇宙人だったとしたら、宇宙人にむかって「般若心経」を唱えてたってことに…
宇宙人からしてみても、般若心経を唱えられて意味不明だったかもしれません。
「いやいや…ワタシは幽霊じゃないし、お経唱えられても困るわ」ってね(笑)
【完】